神社仏閣専門家・坂原弘康の大仏講座(2)~大仏の誕生、大仏にこめられた祈り~
―大仏はどうして造られるようになったのですか
インドで開かれた仏教は、その後中国、朝鮮などを経て日本へと伝わりましたが、とくに中国では大仏が多く造られました。それは中国で流行した「弥勒信仰」からです。
仏さまの一人に弥勒菩薩という方がおられますが、お釈迦様の死後56億7000万年後の未来に出現されるといわれ、現在天上界で人々を救うために修行をされています。京都・広隆寺の像に見られるように考えている姿でよく表現されますが、それは将来自分が地上に現れた時に人々をどのように救おうか考えている姿なのです。そしてその弥勒様が地上に出現した時の姿がお釈迦様の10倍の大きさ(十六丈)ともいわれておりまして、その姿を表現したら「大仏」となったのです。
―奈良の大仏はどうして造られたのですか
我が国の大仏の代名詞ともいえる「奈良の大仏」様は盧舎那仏です。盧舎那仏は太陽を象徴した仏であり、太陽は全ての生命の源であります。国を守ってもらいたい、病気を治してもらいたい、人々を救ってもらいたい、という祈りをこめまして聖武天皇は盧舎那仏を建立されたのですが、そうした願いを聞き届けてくれる頼もしい存在を表わしたらやはりこういう大きな姿になったのではないでしょうか。
あとは多くの方に拝んでもらいたいというのもあったのではないでしょうか。小さな仏様でしたら周りを人で囲んでしまったらお姿が見えなくなってしまいますが、大きい仏様でしたらお参りした方全員でお姿を拝むことができますよね。
大仏様はその大きな体に人々の多くの祈りがこめられているのです。
―江戸にも大仏があったそうですね
現在の東京・上野公園は江戸時代は寛永寺というお寺の境内でして、現在も公園内にそのお寺にあった「上野大仏」という大仏様がおられます。但し顔だけの不思議な姿をしています。
実はそちらは関東大震災の時に頭部が落ちてしまいましてそのまま修復されずにいたところ、顔だけを残して後は軍に供出されてしまいました。銅製の大仏様の中には戦争中に供出されてしまいまして失われてしまった方も数多くおられます。そういう大仏受難の時代もあったのです。
ちなみに顔だけが残った上野大仏は現在「合格大仏」として人々に親しまれています。何で合格大仏かというと地震で頭が落ちたことから「それ以上落ちようがない」ということから。けっこう御利益というのはどこもダジャレ的なものが多かったりするんですよ。まあそういう風に新たな信仰、参拝の形が生まれるのも日本の仏教の面白さかと思います。
いつかは復興されるといいのですが、現在の姿も大仏様と同じ目線で身近に参拝できるのでそれはそれでいいのかもしれませんね。顔だけは残されたわけですが、そこまでは持っていかなかったところは、まだ日本が仏様や神様の力を強く信じていた時代だからだと思いますね。
こちらの大仏以外でもお寺に仏像の頭部のみが残されていることが多くあります。それは火災にあった時に大きい仏像だと持ち運びできないので、せめて頭の部分だけでもお救いしたいということで頭部だけはずして運び出したからなんです。
―エピソードを知ると一段と大仏が面白くなってきますね
やはり仏像というと、古いものや美術的に優れているといわれているものにどうしても価値観が捉われがちですが、そうではなくて仏像というものは本来信仰の対象であり、現在も信仰の対象なんです。
一般的な仏像愛好家の方は国宝だとか何時代の作だとかそういうことに着目されているようですが、私はこういうエピソード的なものが好きなんですね。
大仏も大きさのみが着目されがちですが、大仏にまつわる温かいエピソードも紹介して魅力を伝えていけたらと思っています。
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