プロフィール

  • 坂原弘康
    (神社仏閣専門家)


    群馬県高崎市出身(現在東京都在住)。
    「神社仏閣専門家」として、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など各メディアで活動。
    著書に日本初の大仏専門書『大仏をめぐろう』。


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2019年12月28日 (土)

関東の花井探嶺 ~養玉院如来寺編~

前回の「関東の花井探嶺 ~子ノ権現天龍寺編~」の続きです。

 

子ノ権現天龍寺のコンクリート製の仁王像台座の銘板に、作者として「花井探嶺」の名前を見つけ、さらに当時の居住地と思われる「東京市大井町」の地名もあったのですが、その地名からあるお寺の像が思いつきました。

 

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それは品川区西大井にある「養玉院如来寺」
「大井の大仏(おおぼとけ)」の名称でも知られる、江戸時代に作られた丈六の五智如来像をまつるお寺です。私の仏像めぐりツアーでも訪ねたことがあります。

 

五智如来様ももちろん素晴らしいのですが、今回の目的はこちら。

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五智如来様を守るように置かれた一対の天燈鬼像です。
こちらも興福寺の天燈鬼像をモデルにしたと思われますが、近代彫刻の技法も取り入れて、個性的な迫力ある作品として仕上がっています。

 

実は愛知県名古屋市の「御花弘法大師」にも大変よく似た作風の天燈鬼像があり、以前より養玉院如来寺の天燈鬼像と同じ作者なのではと睨んでいたのですが、御花弘法大師にも花井探嶺が関わっているそうで、もしかすると養玉院如来寺の天燈鬼像も花井探嶺が関わっているのではと思い、改めて確認しにきたのですが……、

 

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ビンゴ! 台座になんと「探嶺作」の文字を発見!

まさかの予想的中に大興奮です。

 

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さらに堂内を見渡すと、なんだか花瓶が気になります。
こちらも見事な龍や蓮、牡丹がデザインされたものですが、その一つにも「昭和五年春 五智大佛宝前 探嶺作」の文字を発見! これまた大興奮!

 

天燈鬼像と花瓶は確実に花井探嶺作ということがわかったので、もう少し何か手掛かりが掴めたらと、庫裏を訪ねてご住職さんにお話を聞いてみることにしました。
すると、ご住職さんからさらに衝撃のお話が。天燈鬼像と花瓶はもちろんのこと、現在の五智如来像の台座も、その他、観音像と毘沙門天像も花井探嶺の作とのことでした!

 

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丈六の五智如来像を支えるため、コンクリート製の台座を作ることになり、当時の住職が花井探嶺に依頼したとのことでした。
その時に花井探嶺を三重または愛知から呼びよせたのか、あるいは既に東京に住んでいたのかは、残念ながらわからないそうです。ちなみに子ノ権現天龍寺の仁王像制作は、養玉院如来寺の住職の紹介で担当することになったそうです。

台座、観音像、毘沙門天像もこれまでずっと見ていましたが、こちらはずっと青銅製かと思っていたのでノーマークでした。なぜなら、下に挙げた以前撮影した修復前の観音像を見ればわかるように、像の表面には緑青がふいて青銅製にしか見えなかったのです。

ご住職さんの話によれば、それは花井探嶺独特の方法でコンクリート像の表面を加工して、緑青をふかせるように作ってあったそうで、おそらく塗料に銅を混ぜていたのではとのことでした。

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さらにご住職さんにお話を伺うと、我が国のコンクリート大仏史を塗り替えるかもしれない事実も。
五智如来の台座もコンクリート製とのことですが、制作されたのは戦前の鉄筋コンクリート造建築の代表作として知られた「丸ノ内ビルヂング(丸ビル)」が出来た一年前とのこと。
丸ビル竣工が大正12年なので、五智如来の台座はつまり大正11年の制作ということですが、それはこれまで「日本最古のコンクリート大仏」とされていた佐賀県唐津市の呼子大仏(大正11年制作)と同年ということになるわけです。台座だけですが、最古級のコンクリート製の大仏台座として、今後注目の作品かと思います。

 

そしてさらにもう一つ、ご住職さんより花井探嶺の作品があることを教えていただきました。

それがこちらの宝篋印塔です。

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梵字や四天王(東大寺戒壇院像がモデルと思われる)、飛天がデザインされた大変美しい姿の塔で、こちらも見事としかいいようがない作品です。塔にはめこまれた銘板には花井探嶺の名前はありませんが、「昭和五年七月」とあります。

数々の花井探嶺作品との出会いに感激の一日でした。
そして長い時間にわたって、貴重なお話を聞かせてくださいましたご住職さんには心より感謝申し上げます。

 

さて子ノ権現天龍寺で花井探嶺の名前を見つけ、そして養玉院如来寺で数多くの花井探嶺作品と出会うことができて、大興奮のまま帰宅したのですが、この後思いもよらないオチが待っていました。

先日、愛知県常滑市・大善院で開催された「花井探嶺展」のチラシ(こちら参照 ※外部リンク)にたしか花井探嶺のサインの写真が載ってたような気がしたので、再び改めてチラシを見返してみました。
チラシ掲載の写真と見比べると、私が養玉院如来寺で見つけた「探嶺作」の文字とよく似ていて、本日出会った数々の花井探嶺作品のことを思い出しながら、感慨に浸っていたその時、ふとチラシの下部にある「参考資料協力」の部分に見たところ、思わず目が点になりました。

 

そこには沢山の人や資料館等とともに「子ノ権現天龍寺」「養玉院如来寺」の名前が。

こ、こんなところにヒントがあったんじゃん! この数日間の私の行動って……。

 

でも、子ノ権現天龍寺の仁王像に花井探嶺の名前を見つけ、そこに記されていた住所から推理して養玉院如来寺まで辿りついたのは、なんだか探偵になったかのようで楽しかったですね。
子ノ権現天龍寺も、養玉院如来寺も、どちらもお気に入りの場所でしたが、さらにまた新たな魅力を発見することができました。

 

最近は今回の花井探嶺をはじめ、浅野祥雲森村酉三などの歴史に埋もれかけていた近代の彫塑家、彫金家の方々の業績を認める動きも出てきて、本当に嬉しい限りです。
私も神社仏閣専門家として、近現代の仏像の魅力も引き続き紹介していきたいと思っています。

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