宮崎県高鍋町・高鍋大師が「日本遺産」に認定されました。


著書「大仏をめぐろう」をはじめ、これまでいくつかのメディア(女性自身、車内泊マガジンなど)でも紹介してきた高鍋大師が、文化庁の「日本遺産」に認定されました。
※「古代人のモニュメント -台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観-」(平成30年度認定)に令和3年度追加認定
国指定史跡「持田古墳群」の中にある高鍋大師は、町内在住の岩岡保吉さんが昭和8年に開創した寺院で、境内には保吉さんが約50年の歳月をかけて彫り上げた大小700体以上の石仏群がまつられています。大きなものはなんと高さ7メートルにも及びます。
その造立の動機となったものは当時この地で頻繁に起きていた古墳の盗掘。
古墳盗掘に心を痛めた保吉さんは、古墳に眠る偉大な先人たちを供養するために石仏群を造立したのです。
古墳を敬い、古墳とともに生きた保吉さん。
今回の高鍋大師の「日本遺産」認定は、そんな保吉さんの思いをしっかりと受け止めた大変素晴らしいことだと思います。
心よりお祝い申し上げます。
最後に、後世に伝えていきたい保吉さんの熱いメッセージをご紹介。

「古墳ヲ敬エ」
岐阜県羽島市・佐吉大仏の建立者である永田佐吉翁の画伝が再刊されました。

佐吉翁にまつわる様々な逸話を文と絵で表したもので、絵本として子供たちにも楽しく読んでもらえる内容です。
人々のために尽くし、「仏佐吉」と呼ばれた佐吉翁の心、この本を通じて多くの人たちに知ってもらえたらいいですね。
大仏様のお堂の書棚にも置いているそうですので、ご参拝の際にぜひお読みください。

佐吉大仏。佐吉翁を慕う人々により自然にそう呼ばれるようになりました。

私(左)と永田章さん(右)。希望者は大仏様の胎内に入ってお参りできます。
佐吉大仏にぜひご参拝を。
【これまでの佐吉大仏関連の記事】
日本で唯一、個人名の付いた大仏様 佐吉大仏(※外部リンク)
高崎白衣大観音の原型制作者である鋳金工芸家・森村酉三の作品を紹介する展覧会「森村酉三とその時代」が群馬県立近代美術館で開催中です。
11月10日(日)まで。

展覧会の話の前に、森村酉三について紹介したいと思います。

森村酉三は伊勢崎市出身の鋳金工芸家で、数多くの優れた作品を残しています。
酉三の手がけた作品の中でもとくに知られているのが、高崎市のシンボル「高崎白衣大観音」の原型の制作で、観音様がまつられる慈眼院の境内にはその功績を称えて記念碑が建立されています。
ちなみに池袋にあった酉三のアトリエから井上工業(高崎白衣大観音建立者の井上保三郎の会社)の東京支店まで原型を自転車に乗せて運んだのは、実は当時井上工業の社員であった若き日の田中角栄首相であったという逸話もあります。

酉三は小説家・江戸川乱歩とも親交が深く、家も隣同士でした。乱歩の随筆「探偵小説四十年」にも酉三が登場し、高崎白衣大観音の原型制作者であることも紹介されています。
ちなみに乱歩の小説「少年探偵団」には高崎白衣大観音が登場しています。もしかすると酉三から高崎白衣大観音の話を聞き、小説に取り入れたのかもしれませんね。
さて今回の展覧会も私の一番のお目当ては「高崎白衣大観音」についての展示でしたが、これが大変興味深い内容でした。
実は酉三以外にも、別に原型制作を依頼された人物がいたとのこと。
井上保三郎は酉三に、そして後に井上工業二代目となる息子房一郎は彫刻家・清水多嘉示にそれぞれ原型制作を依頼しており、最終的に酉三の作品が採用されたそうです。会場には両者による高崎白衣大観音の原型が並べて展示してあり、歴史に埋もれかけていた幻のもう一体の観音像のことを知る良い機会となりました。
その他にも、「新田義貞像」「ペリカン銀香炉」などの様々な鋳金作品が展示され、改めて鋳金工芸家・森村酉三の魅力を知ることのできる展覧会でした。
「高崎白衣大観音」は、私にとっても神社仏閣専門家としての原点といえる存在です。
今回の展覧会を通じて、観音様の魅力を一人でも多くの方に再発見してもらえたらいいですね。
岐阜県羽島市・佐吉大仏の代表である永田章さんより著書をいただきました。
(今年の春に岐阜新聞に連載されたコラムをまとめたもの)

永田さんは佐吉大仏を建立した永田佐吉翁の御子孫であり、御子孫が語る佐吉翁や大仏様のエピソードはどれも心温まるものばかりです。

佐吉大仏。佐吉翁を慕う人々により自然にそう呼ばれるようになりました。

私(左)と永田章さん(右)。希望者は大仏様の胎内に入ってお参りできます。
佐吉大仏にぜひご参拝を。
【これまでの佐吉大仏関連の記事】
日本で唯一、個人名の付いた大仏様 佐吉大仏(※外部リンク)
5月10日(金)に「神社仏閣専門家・坂原弘康の仏像講座 近現代の大仏・大観音」を開催しました。
皆様ご参加ありがとうございました。
今回の講座では「日本唯一の大仏専門家」でもある私ならではの知られざる近現代の大仏・大観音の歴史や文化についてお話しました。
その中から、私が一番伝えたかった内容である「近現代の大仏・大観音はなぜ鉄筋コンクリートで造られたのか」について、ブログでも紹介したいと思います。
近現代に建立された大仏・大観音の多くは鉄筋コンクリートを用いて造られていますが、鉄筋コンクリート造の大仏・大観音というと「なんだか工業的で、有難みがない」といった意見も時折耳にします。
たしかに従来の仏像の素材である木や銅、石といったものに比べれば、19世紀に登場した鉄筋コンクリートはまだ歴史は浅く、受け入れがたい方がいるのも仕方ないのかもしれません。
しかし、単に利便や目新しさだけで鉄筋コンクリートを大仏・大観音に用いたのではなく、当時の人々が鉄筋コンクリート造の大仏・大観音に託した大きな思いがあったのです。
我が国では古代から多くの大仏・大観音が建立されてきましたが、その歴史は地震や火災などの受難との戦いの歴史でもありました。
例えば、奈良の大仏は平安時代と室町時代に戦火によって二度も大仏殿もろとも焼失(その後江戸時代に再興)、鎌倉大仏も室町時代に地震で大仏殿が倒壊し、大正12年の関東大震災で大仏の台座が破損、東京の上野大仏も関東大震災で頭部が落下するなど、幾多の被害に見舞われてきました。
崩れない大仏、燃えない大仏、そんな「夢の大仏」を造れたら……。それは人々の切なる願いであったに違いありません。
そこで注目された「夢の新素材」こそが「鉄筋コンクリート」なのです。
前述した大正12年の関東大震災によって、これまでの木造主体の建築はことごとく倒壊や焼失の被害を受けましたが、当時最先端の建築技術、建築素材である「鉄筋コンクリート」を用いた「帝国ホテル」(現在玄関部分が愛知県犬山市・博物館明治村に移築)に代表される鉄筋コンクリート造の建造物は被害が少なく、これをきっかけに耐震性、耐火性に優れた「鉄筋コンクリート」が一躍注目されるようになりました。
そんな「夢の新素材」を使えば、崩れない、燃えない「夢の大仏」が造れるにきっと違いない。
仏像の制作は、古代から現代に至るまで当時最先端の技術や素材を取り入れて、理想の仏像を造るために様々に進化してきました。
「夢の新素材」である「鉄筋コンクリート」で理想の仏像を造ってみようと思うのも当然の帰結かもしれません。
そして昭和2年、愛知県の実業家山田才吉は鉄筋コンクリートを用いて、奈良の大仏(像高14.98メートル)を上回る像高18.8メートルの「聚楽園大仏」(愛知県東海市)を建立することに成功しました。
これを皮切りに、昭和3年に「刈宿の大仏」(愛知県西尾市)、「別府大仏」(大分県別府市)、昭和7年に「庄川大仏」(富山県砺波市)、昭和11年に「護国観音」(埼玉県秩父市)など、鉄筋コンクリート造の大仏・大観音が全国各地に建立されていきました。
※補足
関東大震災以前にもコンクリートを用いた大仏の作例として、大正11年建立の「呼子大仏」(佐賀県唐津市)があります。
中でも群馬県の実業家井上保三郎によって建立された「高崎白衣大観音」(群馬県高崎市)は、総高41.8メートルの鉄筋コンクリート造の大観音立像の建立に成功し、当時「東洋一の大きさ」を誇る大観音としてその名を轟かせました。
このように当時最先端の技術と素材を用いて、信ずる「大仏さま」「大観音さま」の御姿を永久に残して伝えたいという人々の祈りと願いの心によって誕生したのが「鉄筋コンクリート造の大仏・大観音」なのです。
鉄筋コンクリート造の大仏・大観音の登場によって、大仏・大観音は「巨大化」「大衆化」の時代を迎え、全国各地で多種多様な大仏・大観音が建立されていったのです。
※その後の大仏・大観音の「巨大化」「大衆化」の時代については、以下の記事をご参照ください。
坂原弘康の「仏像のミカタ」 仏像界のビッグスター“大仏”2 ご来場御礼

聚楽園大仏

刈宿の大仏

庄川大仏

護国観音

高崎白衣大観音と井上保三郎像
しかし、当時は恒久的な「夢の新素材」と考えられていた鉄筋コンクリートも、残念ながら現在では耐用年数は最長で100年程度と考えられており、既に別府大仏など解体されてしまった大仏・大観音もあります。
まだまだ近現代の大仏・大観音への世間の関心は大変低いのが現状で、もしもこのままだと前世紀に建立された鉄筋コンクリート造の大仏・大観音たちは今世紀中に全て姿を消してしまうかもしれません。
私自身も故郷の高崎白衣大観音に見守られて育ちました。
そんな「大仏さま」「大観音さま」と人々が共存する素晴らしい風景を後世へと守り伝えるためにも、これからも近現代の大仏・大観音の魅力を一人でも多くの方に伝えていきたいと思っています。
我が故郷群馬県高崎市の「高崎白衣大観音」では、毎年冬至に観音様のすす払いが行われています。
(※2018年は冬至前日の12月21日の開催)
今年も晴天の冬空の下、観音様に一年間の感謝をこめて、お身体のすす払いが行われました。





観音様も一年間のお身体の汚れを落として、すっきり。
今年も私たちを見守ってくださり、本当にありがとうございました。
※個人的には、2018年はフジテレビ「ノンストップ」、「女性自身」で高崎白衣大観音様のことを紹介することができて、大変嬉しく思います。



すす払い拝観の後は参道の「観音茶屋」で一服。
観音最中は高崎白衣大観音様をかたどった可愛いお菓子で、身体の治したい所と同じ所から食べると御利益があるといわれています。
※こちらも「女性自身」で紹介しました。



2018年ももうすぐ終わり。
皆様、本年もありがとうございました。
2019年も神社仏閣の魅力をお伝えしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
神社仏閣専門家 坂原弘康



2018年春、また新たな大仏様が誕生しました。
その名は「鹿野(ろくや)大仏」。
高さ18メートル(像高12メートル)の釈迦如来の坐像で、東京都日の出町・宝光寺に建立されました。
私の地元である多摩に素晴らしい大仏様が誕生されて嬉しい限りです。お祝い申し上げます。


大仏様の名称にある「鹿野」というのは、お釈迦様が悟りを開いた後に初めて説法をした「鹿野苑(ろくやおん)」にちなむもので、この地が現代の仏教の発信地になればという思いから名付けられたそうです。
(また宝光寺には明治時代まで「鹿の湯」という鹿にまつわる霊泉があり、こちらも命名の由来となったそうです)


草木に囲まれて静かに瞑想をする大仏様。
やはり大仏様は自然の風景とよく似合います。


「イケメン」とメディアでも紹介されたご尊顔。
御住職も大仏様の御顔を制作するにあたって、仏師の方や檀家の方々と何度も相談を重ねて、とくに真下で参拝者が拝む時に大仏様が微笑まれて見えるように表情を工夫されたそうです。心やすらぐとても素敵な笑顔です。


大仏様の指の間には「水かき」があります。これは「全ての人々をもれなく救う」という慈悲の心を表したものです。
私もメディアより取材を受けた際に大仏様の見どころについて聞かれ、大きさだけでなくその姿にこめられた心も伝えたくて、わかりやすい見どころとして水かきについて紹介しました。
私が参拝した時も「朝のテレビで言ってた水かきがある」と参拝者の方々が大仏様を見て話されている声があちこちから聞こえ、少しでも大仏様の心をお伝えすることができたことを嬉しく思います。

大仏様の前には可愛らしい誕生仏がまつられていました。
水をかけて大仏様(お釈迦様)のご誕生をお祝いしました。

大仏様の御山からの眺望。
中央に見えるのは東京サマーランドの観覧車で、そちらからも大仏様の姿が望めるそうです。
電車の車窓から拝める大仏様は数あれど、観覧車から拝める大仏様はここだけでしょう。



大仏様までの参拝路も木立に囲まれた爽やかな道で、紅葉や紫陽花なども植えられて、四季折々楽しめそうです。
現在はまだ工事中の箇所もありますが、完成の暁にはきっと素晴らしい大仏様の御山となることでしょう。今後が楽しみです。

御住職が大仏様の建立を実現するまでは様々な苦労もあったそうですが、今回の大仏様の建立が少しでも日の出町をはじめ、多摩全体の活性化につながれば嬉しいとのお話でした。
実際に4月11日の一般公開以降、連日多くの方々が参拝に訪れ、あわせて町内の施設やお店にも多くの人が来るようになり、さらには近隣の町からもあわせて多摩を盛り上げていきましょうとの嬉しい呼びかけもいただいているそうです。
私も多摩在住の一人として、大仏様がつなぐ人々の絆がさらに深まっていくことを心より願っています。
ちなみに今回の鹿野大仏様建立にあたって、私も神社仏閣専門家として多くのメディアの皆様から仕事のご依頼をいただきまして、本当にありがとうございました(TBSテレビ「あさチャン!」「ビビット」、フジテレビ「ノンストップ!」、テレビ朝日「モーニングショー」、日刊ゲンダイ)。
大仏様建立という素晴らしいニュースに関わることができ、大変嬉しく思います。
これからも大仏様の魅力をお伝えしていけたらと思いますのでよろしくお願いいたします。
関連記事(坂原弘康登場記事) ※外部リンク