プロフィール

  • 坂原弘康
    (神社仏閣専門家 大仏専門家)


    群馬県高崎市出身(現在東京都在住)。
    「神社仏閣専門家」「大仏専門家」として、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など各メディアで活動。
    著書に日本初の大仏専門書『大仏をめぐろう』。


    メディアへの出演および取材協力、商業誌への執筆および取材協力など、各種仕事のお問い合わせは「依頼内容」「依頼料」を必ず明記の上、ご連絡をお願いいたします。
    (各種ご依頼は全て「有料」にて承ります)

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歴史・史跡

2015年2月15日 (日)

鵺ばらい祭と葛城山(静岡県伊豆の国市)

静岡県伊豆の国市の伊豆長岡で毎年1月に開催されている「鵺(ぬえ)ばらい祭」に行ってきました。

鵺とは平安時代に京の都に出現した妖怪で、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇の姿をしており、夜な夜な宮中に現れては人々を恐怖に陥れていましたが(鵺の鳴く夜は恐ろしい)、源氏の将、源頼政公によって退治されたと伝えられます。
その頼政公の故事を再現したのが「鵺ばらい祭」。頼政公の妻あやめ御前が伊豆長岡出身というご縁から始められ、一足早い節分祭として春を呼び込むお祭りです。今年で記念すべき50回を数えます。

私も10年ほど前に初めてこの祭りを見たのですが、その面白さにすっかり魅了されてしまい、今回で4回目となります。
ちなみに昨年までは毎年1月28日の固定日開催でしたが、今年からは1月の第4日曜日の開催となりました。

 

さて鵺払い祭りの当日、伊豆長岡へと到着。
祭りまでまだ時間があったのでどこか気になるところは無いかな~と探したところ、こちらに決定。

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「伊豆の国パノラマパーク」

以前から国道414号を車で走っていると、国道を横切ってびゅんと頭上を飛び越えていくゴンドラが気になっていたので、今回初めて乗ってみることにしたのですが、これがもう超当たり。

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富士山!

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そしてパワースポット!
『パワースポットを楽しもう!』 やっぱり何でも「楽しい」のが一番ですね。

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ゴンドラの終着駅は富士山と駿河湾を一望できる葛城山の山頂で、まさに絶景の一言
葛城山というと同名の奈良の葛城山が思い浮かぶ方もいるかと思いますが、こちらも同じく修験道の祖である役行者ゆかりの霊地で、葛城権現をまつった葛城神社が建立されています。
また平治の乱で敗れ、伊豆に流された源頼朝公もこの山に鷹狩りに訪れていたそうで(山頂に「源頼朝公鷹狩りの像」があります)、きっとこの風景を見ながら再起を誓ったことでしょう。
諸願成就の百体地蔵尊もまつられています。

伊豆にはもう何度も来ていますが、どうして早くここを訪れなかったのだろう。最近は仕事関係でいろいろと残念なことが続いて意気消沈気味でしたが、なんだか元気をもらえた気持ちのいい場所でした。

自分は自分の信ずる道を進めばいい。

 

やがて祭り開始の時間となったので会場へ。

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弓の名手であった頼政公にちなんで、伊豆の国市弓道連盟の皆さんによる弓デモンストレーションが行われます。
的はもちろん「鵺」。放たれた矢は見事に鵺をとらえ、妙技に歓声と拍手が送られます。ちなみに的の鵺は魔除けになるとのことで、私もその一部をいただきました。

そしていよいよ鵺ばらい祭のメインである「鵺踊り」

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ジャ―――ン!鵺登場!

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仲良し鵺ファミリーによる舞い。とっても楽しそうです。

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そこに頼政公一行登場。手に汗握るバトルが繰り広げられます。

頑張れー!鵺―――!(おい)

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……全員退治されちゃった。ぐっすん。
退治された鵺の魂はお祓いされて、清らかに生まれ変わります。

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思わず鵺に感情移入してしまうほど、とっても楽しくて可愛らしい鵺踊り。
実は演じているのは地元中学生の皆さんで、代々この踊りを守り伝えています。これからもどうぞ頑張ってくださいね。

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新しく登場したご当地キャラの「ぬえ左衛門」
鵺と当地出身の偉人江川太郎左衛門にちなんだネーミングのキャラで、伊豆長岡を楽しくPR。

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餅まきも行われ、私も無事にお餅をゲット。
今年もとっても楽しいお祭りでした。

(2015年1月)

 

 

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2012年10月 9日 (火)

関ケ原ウォーランドのノーモアシールに“あの漢”が登場!

先日国民的アイドルグループの総選挙が行われて巷の話題となりましたが、私の中で一番熱い総選挙はこちら。

『関ケ原ウォーランド ノーモアシール』!

 

ノーモアシールとは、天下分け目の合戦が行われた関ケ原の地に建つ歴史資料館「関ケ原ウォーランド」の館長さん特製のオリジナルシールで、関ケ原ウォーランド内の武将像と創設者の谷口玉泉さんによる「この世から戦を無くし、平和な世の中を」という祈りをこめたメッセージ『ノーモア関ケ原合戦じゃ!』をあしらったシールです。
関ケ原ウォーランド訪問記念として、ご来場のお客さんに配布されて人気を集めています。デザインも定期的に新しいものに変わるので(現在は第三弾配布中)、これを集めるのも関ケ原ウォーランドを訪れる楽しみの一つとなっています。

さてこのノーモアシール、第一弾はもちろん館内の屋外展示で「ノーモア関ケ原合戦じゃ!」のメッセージを熱く叫ぶ武田信玄公でしたが、続く第二弾以降は関ケ原ウォーランドファンによる人気投票で決めることになりました。
そこで昨年アンケートが実施され、見事1位に輝いたのは石田三成公。やはり最後まで主君の豊臣家に義を貫いた生き様が評価されたのでしょう。その他にも、大谷吉継公、島左近公といった諸将の方々が上位にランクインされています。

 

そんな名だたる有名な武将の方々に混じって、気炎を揚げる漢が一人。

その名も…

『中央付近の半裸の漢』!

 

実はこちら、人気投票の際に私が推薦した方なのですが、とくに名前が無かったのでどうしたものかと思っていたところ、館長さんが上記のような愛称を考えてくださり、大ブレイク。
あれよあれよと投票が集まり(「中央付近の半裸の漢」でみんな誰のことだか分かるのはさすが)、見事3位にランクイン!
素晴らし―――い!

投票結果はこちら

 

そしてこの秋、待望の第三弾のノーモアシールが登場したのですが……、

 

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なんと『中央付近の半裸の漢』殿がノーモアシールに!
これは嬉しすぎる―――――!

 

というわけで、ノーモアシール化を祝して『中央付近の半裸の漢』殿特集。

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関ケ原ウォーランド内で唯一人、肌脱ぎとなって戦う気合満点の雄姿。

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ご尊顔アップ。今にも怒号が聞こえてきそうな迫力の表情。

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こちらは今年の夏に開催された関ケ原ウォーランドの企画展示の予告での「中央付近の半裸の漢」殿。
なんと企画展示のイメージキャラクターとして大抜擢。

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トークイベントで「中央付近の半裸の漢」殿について熱く語る私(左)。

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そしてずっとお名前が不明だったのですが、この度館長さんの調査の結果、お名前が判明しました。
その名は『団九郎兵衛』公。新しく名称看板も出来ました。

関ケ原合戦の際は福島正則軍に所属し、この像の通り、肌脱ぎで奮戦したと伝えられる勇者とのこと。
(それにちなんで今回のノーモアシールの背景のデザインは福島軍の諸将の家紋です)
関ケ原ウォーランドを通じてまた一人、魅力的な人物のことを知ることができました。

 

秋の関ケ原ウォーランド風景あれこれ。

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武田信玄公と石田三成公。第一弾、第二弾のノーモアシールとして活躍された武将の皆様。

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秋の訪れを知らせる彼岸花。春は桜、夏は紫陽花、冬は雪景色と、四季折々の風情が戦場を彩ります。

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只今関ケ原ウォーランドでは企画展示『決戦!関ケ原』開催中!(12年9月〜12月)
館長さんによる分かりやすい解説パネルで関ケ原合戦の様々なエピソードを紹介しています。

今までにも館長さんは、石田三成特集、徳川家康特集など、様々な企画展示を行ってこられ、私も以前の展示を見ましたが、戦場での姿以外での両者の人間味あふれるエピソードが満載でまた新たな発見がありました。
様々な企画展示を開催して、歴史に興味を持っていただけたら、と館長さん。今後も楽しみにしています。

今後の予定は「関ケ原ウォーランド公式サイト」をチェック。
関ケ原ウォーランド公式サイト

皆の者、この秋も関ケ原ウォーランドへ集結じゃ!

 

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今回館長さんよりお土産にいただいた「戦国名将浪漫 御家紋クッキー」(左下はこれまでの歴代ノーモアシール)
家紋もいろいろあるんですね〜。クッキー食べて勉強いたします!

(2012年9月)

2011年6月 7日 (火)

関ケ原ウォーランド謎解き紀行 その2『湯浅五助の首』

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東軍総大将の徳川家康本陣では東軍の諸将たちが居並ぶ中、討ち取られた一人の西軍の武将の首実検が行われていた。

その首の主の名は「湯浅五助」。

 

ああ、首だけになっての登場だなんて可哀そう…。
と思ったら、それは大間違いです!

この姿にこそ忠義の士・湯浅五助の真実が隠されているのである!

 

まずは前置きとして、今回も浅野祥雲研究家・大竹敏之さんから提供していただいた浅野祥雲さんの製作風景の写真の話から。
関ケ原ウォーランドのコンクリート塑像群は祥雲さんの戦後の作品ということもあり、沢山の写真が残されているそうで、その一枚には現地で関ケ原ウォーランド関係者とともに写っているものもあった。製作風景を視察に来た関係者の方々を前にして作品について熱く語る祥雲さん、といった感じのショットであったが、よくよく見ればそこには「お坊さん」の姿も…。

それを見て私はハッとした。

ああっ!?なんだか長年の疑問が解けたような!

祥雲さんはコンクリート仏師として、大弘法、五色園、桃太郎神社、そして現在熱海城にある仏像群と、ほとんどお寺や神社に関係する作品を作っているのに、「関ケ原ウォーランド」だけは武将群像ということで何か毛色が違うような気がしていたのだが、やはりここもお坊さんが関係している一連の「コンクリート仏像」群の仲間なのではないかと…。

 

ということで、それを関ケ原ウォーランドの館長さんに訪ねてみたところ、「はい、関ケ原ウォーランドの隣の宝蔵寺も合戦で戦死された方々の供養のために建立されたものです。ちなみに私、宝蔵寺の事務局長でもあります」

やっぱり、というか灯台もと暗し!
関ケ原ウォーランドのすぐ隣に合戦戦死者供養堂があるのは知っていましたが、こちらも関ケ原ウォーランドと同じ建立者だったとは!

つまり関ケ原ウォーランドは、宝蔵寺に付随する「関ヶ原の戦い」を群像で表現した「立体絵解き」といえます。
そう考えると改めて関ケ原ウォーランドのキャッチコピーといえる「ノーモア関ヶ原合戦」の言葉がひじょうに深く心に響きます。

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こちらが宝蔵寺。境内に祥雲さん作と思われる観音様が建っていたり、「ノーモア関ヶ原合戦」の石碑があります。

さて関ケ原ウォーランドへと入ってみましょう。
つい像の造形にばかりに目がいってしまいますが、その配置もじっくり見てみるとさらに面白い。縮小されてはいるもののほとんど正確に実際の東軍西軍の布陣通りに武将の像が配置されています。

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入り口入ってすぐは南宮山・毛利軍。
策士・吉川広家、戦局を見守り、兵を動かさず。

そのまま先へ進んでいくと前回紹介した「ノーモア関ヶ原合戦」の武田信玄の亡霊が出迎えてくれます。
ここを左に折れて、園内を道に沿って時計周りに巡ってみるのがオススメルート。戦いの経過に沿って、様々な東軍西軍諸将の人間ドラマを見ることができる。とくに西軍諸将の描写はとても細かく、並々ならぬ想いを感じる。

関ヶ原の戦いにおける最大の人間ドラマは小早川秀秋の裏切り、そして大谷吉継の自刃であろう。

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松尾山にて陣を構える小早川秀秋軍。
家康と内通し、裏切りの約束をするも、いまだ戦局を見て思案中…。

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業を煮やした家康は、松尾山に向けて督促の威嚇射撃!(まあ縮小されているので、小早川秀秋にモロ命中しそうですが……)

これをきっかけに小早川軍も重い腰を上げ、麓の大谷吉継軍に向かって突撃することとなる。この小早川秀秋の裏切りがまさに勝敗の決め手となった。

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奮戦する大谷吉継の盟友平塚為広
颯爽と馬で駆ける姿は関ケ原ウォーランドでも随一のカッコよさ!

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覚悟を決め、自刃する大谷吉継
主君の最期を見守る家臣たちの無念の表情が鬼気迫ります。

そして家臣たちの名前をよく見れば……、

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ああっ!ゆ、湯浅五助!!

実は関ケ原ウォーランドで“生前”と“死後”の両方の姿が表現されているのはただ一人「湯浅五助」のみです。
(戦場と本陣の両方の場面に登場する本多忠勝、松平忠吉らもいます)

そして宇喜多軍、小西軍、中央突破の島津軍、笹尾山の石田三成軍と様々な西軍の武将たちのドラマが展開され、やがて場面は東軍総大将・徳川家康本陣へと移ります。

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笹尾山で指揮をとる石田三成
関ケ原ウォーランドでただ一人「石田三成公」と敬称付きの名札。

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繰り広げられる命のやりとり……
戦さは決して英雄たちの華々しい活躍ばかりではない。その裏では多くの血が流れ、残酷なまでにその真実を描写します。

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園内の奥まったところに阿弥陀如来がまつられています。

仏教の世界では、絶え間なく戦いが続く「修羅道」という世界があるという。
まさにこの群像たちはその世界の体現なのではないだろうか。彼らは身を呈して我々に平和の尊さを訴えかけています。

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徳川家康本陣。そこでは首だけの姿となった湯浅五助を囲んで、徳川家康をはじめとする東軍の諸将たちが居並ぶ。

しかし、それは決して首だけとなって晒し者にされているわけではない。

ここで湯浅五助の最期についてお話を。

主君大谷吉継の介錯をつとめた湯浅五助は、その主君の首を敵に渡すまじと山中に密かに埋葬する。
しかしそれを東軍の武将藤堂仁右衛門に見られてしまい、自身の首と引き換えに主君の首の在り処は秘密にしてほしいと頼み、あえて自身は藤堂仁右衛門に討たれたのである。
その湯浅五助の忠義の心に敵味方関係なく感動したといわれている。
(もちろん藤堂仁右衛門も約束を守り、大谷吉継の首の在り処を口外しなかった)

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つまり、首だけで表されたこの姿こそ、湯浅五助にとって一番の誇りある舞台なのである。

それを知ると、まるで東軍本陣にただ一人威風堂々と乗りこんできたかのようであり、まさにこの場面の主役…、いや、

「関ケ原ウォーランドの影の主役」は湯浅五助といっても過言ではないっ!!!

……ちょっと興奮してしまいましたが、まあともかく関ヶ原の戦いのエピソードを知ってから巡ってみると、さらに関ケ原ウォーランドが楽しくなりますよ!
あなたもお気に入りの武将を見つけてその人間ドラマに迫ってみてはいかがでしょうか。

最後に関ケ原ウォーランドの背後の山中にある大谷吉継の墓を紹介いたします。
以前に関ケ原ウォーランドを訪問した後、大谷吉継と湯浅五助のエピソードを知って、再訪の際にはぜひ訪ねたいと思っていた場所。
静かな杉林を分け入っていくと、ひっそりと大谷吉継の墓があり、そしてその隣には忠臣湯浅五助の墓がまるで今も主君を守るかのように建っていた。(近くには盟友平塚為広の碑も建てられている)
そして大谷吉継の墓を建立したのは藤堂家だという。やはり真の武士は真の武士を知るということか。
乱世に咲き、そして散っていった漢たち…、その熱き魂が伝わってくるかのようでした。

というわけで二回にわたってお送りした「関ケ原ウォーランド謎解き紀行」いかがでしたでしょうか。
はるか戦国の世にそれぞれの信念で駆け抜けた人々。そしてその意志を継いで伝えていこうとする人々。そのどちらも人間ドラマに溢れています。
関ケ原ウォーランドを訪ねれば、きっとその熱い想いを語りかけてきてくれるはずです。 

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「皆の者、関ケ原ウォーランドに集うべし!!」

関ケ原ウォーランド公式サイト

関ケ原ウォーランドの館長さんによる公式ツイッターも始まりました。
皆の者!こちらもどしどしフォローするのじゃ!!

(2011年4月)

 

 

※追記
2012年4月28日(土)発売の『車内泊マガジン Vol2』(笠倉出版社)で、関ケ原ウォーランドを特集いたしました。
ぜひお読みください!

詳細はこちら

 

 

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2011年5月20日 (金)

関ケ原ウォーランド謎解き紀行 その1『幻の川中島ウォーランド!?』

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『ノーモア関ヶ原合戦じゃ!』 

今日も熱く魂のメッセージを叫ぶ武田信玄の“亡霊”
もうウォーランドではすっかりおなじみの光景であるが、きっと誰もが思うはず。「何でここにいるの?信玄さん??」

しかしこれにはものすごい事実が隠されていたのである!

 

まずは先日訪問してきた関ケ原ウォーランドの最新情報を。

近年は関ケ原ウォーランド、五色園、桃太郎神社などのコンクリート像の作者である浅野祥雲さんの活動と作品が再評価され、浅野祥雲研究家・大竹敏之さん主宰による『浅野祥雲 作品再生プロジェクト 五色園修復活動』(私も参加しています)も行われるなど活発な動きを見せています。

そんな中、関ケ原ウォーランドでもうれしい動きが。
なんとこちらでも一昨年より独自に作品の修復を行っているそうで、武将の皆様方もお色直しされて一段と迫力を増しましたぞ!

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見よ!このリアルな表情!

もう今にも動きだしそうな感じさえします。とくに目力がスゴすぎです。

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こちらは司馬遼太郎『おれは権現』の主人公、可児才蔵。

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そして才蔵に組み敷かれている武将。見てください、この迫真の表情!
戦場での命をとるかとられるかの緊迫感がビシビシと伝わってきます。

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もちろんこの方たちもお色直し……、一段と大迫力!

とにかく今回の塗り師の方はただものじゃありません。
今後も関ケ原ウォーランドでは少しずつコンクリート像の修復を進めていくそうで楽しみですね。

 

そしてもう一つ新たな動きが!
なんとこの度、関ケ原ウォーランドに新館長さんが就任されました!
戦国時代、とくに石田三成の大ファンとのことで、やはり決戦の地関ヶ原で働きたいとのことで関ケ原ウォーランドに転職されたという素晴らしい心意気の持ち主の御方です。その情熱を生かしたリニューアル企画を今後どしどし行っていくそうですよ!(先日も今後の参考にしたいと五色園修復活動にもご参加くださいました)

皆の者!生まれ変わった関ケ原ウォーランドへと、いざ参るのじゃ~~っ!!

 

関ケ原ウォーランド公式サイト

関ケ原ウォーランドの館長さんによる公式ツイッターも始まりました。
皆の者!こちらもどしどしフォローするのじゃ!!

 

さてここで本題。

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常々、何で「関ヶ原の戦い」に武田信玄が唐突に登場?と疑問に思っていたのですが、前述の浅野祥雲研究家・大竹敏之さんにある一枚の写真を見せてもらった時、その謎を解くカギが見つかりました。

それは以前私がプロデュースした大竹さんとの共演イベントの準備の中、資料としてご提供いただいた「浅野祥雲さんの製作風景」の写真で、そこには出来上がった作品をトラックに積んで出発しようとしている祥雲さんの姿があったのですが、トラックに積まれた作品をよく見てビックリ!なんとこの「武田信玄」じゃないですか!
さらによく見れば隣には騎馬武者の像もあり、これを見てさらにビックリ!なんと写真の横に「上杉謙信」と記載されている~っ!

つまり関ケ原ウォーランドの武田信玄像は、本来は上杉謙信像と一組で作られたもので、川中島の戦いの名場面「三太刀七太刀」を再現していたのである!もしかして『川中島ウォーランド』も作ろうとしていた!?

私も大竹さんも改めてこの衝撃の事実を発見して驚いたのですが、残念ながら謙信像の行方はわからず、何らかの事情で謙信像が失われて、信玄像だけが関ケ原ウォーランドに引き取られたのではないかという推測に至ったのでした。

 

ところが、今回関ケ原ウォーランドを再訪してじっくりと一体ずつ調査を行ったところ、こんな武将像を発見。

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おぉ!この頭巾を被った後ろ姿は!?

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上杉謙信~~~ッ!!!

まさにこれこそ祥雲さんの写真にあった上杉謙信像です!
「幻の上杉謙信像」はなんと関ケ原ウォーランドに現役で活躍していたのです!

でも何で今まで気付かなかったんだろう。
そして足元にある武将名の札を見てみると…、

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えっ、稲葉貞通!?

どうやら上杉謙信は稲葉貞通として転生されていたようです…。

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両将の位置関係はこんな感じ。信玄像から一体挟んで後ろに謙信像。
あまりにも近すぎて気付かなかったよ…、ああ灯台もと暗し。

 

この両将の像が関ケ原ウォーランド用に作られたものかどうかはわかりませんが、私が推測するにこの両将の像がこちらに持ち込まれた時、関ヶ原の戦いに川中島の両将がいるのはちょっと場違いということで、上杉謙信は稲葉貞通として転用され、独特の総髪獅子噛前立兜の「諏訪法性の兜」を被り、武田家の花菱入りの軍配を持った武田信玄はさすがに誰にも転用できず、苦肉の策で“亡霊”という設定で登場させたのかも。

川中島の一騎打ちは幻に終わってしまいましたが、結果的に関ケ原ウォーランドの主旨を伝える「ノーモア関ヶ原合戦」の名キャッチコピーを生み出したきっかけとなったので、私的にはナイスな転生だと思います。

 

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幻の浅野祥雲作「信玄像VS謙信像」の一騎打ち!!

関ケ原ウォーランドのウラの楽しみ方として、この幻となったドリームマッチに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

(2011年4月)

 

「関ケ原ウォーランド謎解き紀行」その2につづく

 

 

※追記
2012年4月28日(土)発売の『車内泊マガジン Vol2』(笠倉出版社)で、関ケ原ウォーランドを特集いたしました。
ぜひお読みください!

詳細はこちら

 

 

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